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「家族のために働く」本来の意味を知れば仕事の生産性が上がる簡単な理由
今では夫婦共働きが当たり前となり、夫婦で家事・育児を分担している家庭も多いのではないでしょうか?
一方で、一家の大黒柱として夫が働きに出て、妻が専業主婦として家事・育児を担う家庭もあるとは思いますが、そういった専業主婦の家庭において良く出てくる言葉が、「自分は家族のために仕事をしている」という夫からの言葉です。
私自身も良く聞いたことがありますが、皆さんも聞いたことがある言葉だと思います。
誰かのために何かをするというのは素敵なことですが、この言葉から来るイメージは
「え?家族のために嫌々仕事しているの?」
「私だって、家事・育児(仕事)しているのになんで?」
といった、少し否定的な意味に捉えられるのではないでしょうか?
著者自身も、今では社会保険労務士として事務所を設立し、夫婦共働きで家事・育児を分担して生活していますが、以前までは絵に描いたようなサラリーマン(妻は専業主婦)で家族のために働き、残業や休日出勤は当たり前の生活を過ごしてきました。
今思うと、サラリーマン時代はそれなりに頑張ってきたと自負していますが、働き方からすると何ともね「燃費の悪いクルマ」という言えるぐらい、効率の悪い仕事をしていたと思います。
今回記事では著者自身の経験を踏まえ、家族のために働くとはどうことなのか?また家族のために働くことで仕事の生産性があがる理由について紹介していきます。
「家族のため」という自分思考
よく「家族のために仕事している」と回答するサラリーマンを目にしますが、実際に働く身からすれば、仕事による過度のストレスがあると、「自分のため」だけに働いているのでは身が持たないこともしばしばあり、そこで「誰かのために」と思うことで頑張れることも少なくありません。
著者自身も夜遅くまで残業していた際に、急に虚無感を抱くことはありましたが、デスクの上の家族写真を見ては「もう少し頑張るか!」と心のギアを巻いていたことを思い出します。
つまり、「家族のために仕事をしている」と思うことで、過酷な労働環境に耐えるための精神力を持ち、例え仕事が多忙で残業時間が長くなっても、「まだまだ頑張れる!」いう思考回路が出来上がるのです。
この思考については、良い悪いもなく、誰かのために頑張れるということはとても素敵な話ですが、あくまでも「自分の頭の中だけでの世界」であることで気をつけておきましょう。
「家族のため」にという罠
ただ一方で、「家族のために仕事をしている」という言葉をもう少し掘り下げていくと、「家族のため」というのは「滅私奉公」を彷彿とさせ、日本人が好む思想でもありますが、実際そうではありません。
この点スポーツに置き換えるとわかりやすいですが、野球ではバント=犠打で自分がアウトになりながらも、得点圏にランナー進めてチャンスを作ることがしばしばあります。バントした選手は自分の打席を犠牲(アウト)にすることで、チームに貢献することとなり、この点において「チームのために」=「滅私奉公」となります。
一方で家族の場合はどうでしょうか?
サラリーマンが「家族のために仕事をしている」と言う背景には、「自分の時間を犠牲にして、自分がやりたいことを犠牲にして、やりたくない仕事も頑張っている」という意味合いが強く、家族のため=「滅私奉公」と思われがちですが、「家族」は会社やチームという組織とは違い「生活共同体」であるので、そもそも「滅私奉公」という概念は存在しません。
わかりやすく言えば、野球でいう「チーム」と「選手」は全くの別物であり、どちらか一方が無くなっても、もう一方は存在することができます。(1人の選手がいなくなってもチームは存続し、チームが解散しても選手はまた別のチームで活躍することができます)
逆に家族の場合は、「家族」と「働く夫」は生活共同体であるため、どちらか一方の存在なくして、もう一方も存在することができません。(家族がなくなれば夫としての立場はなくなり、夫がいなくなれば「夫のいた家族」は無くなります)
つまり、働く夫が家族のためにと思い頑張って働いてしまったものの、過労で倒れてしまったら、家族も路頭に迷うことになるということです。
【滅私奉公】
①野球チームの場合
私⇒選手
公⇒チーム
②家族の場合
私⇒夫でありその家族
公⇒存在しない(あえて言えば会社)
このように、「家族のために」と思うことで仕事が頑張れるという自分思考があり、かつ「家族のために」という言葉が「滅私奉公」を彷彿とさせる言葉であったことから、いつの間にか「家族のために働くことが美徳」という誤った認識をされたように思えます。
「家族のため」とは何か?
先述したとおり、家族は生活共同体なので、家族間で「滅私奉公」という概念は存在しないため、「自分は家族のために仕事をしている」というのを正しく表現するのであれば、「自分は家族を養うために仕事をしている」ということになります。
ここで大事なポイントは、「家族のため」にと言うと「主役は家族」という風に思われがちですが、文字どおり「主語はあくまでも自分」であるということであり、自分のために仕事をしていることが明らかです。
つまり、本来は自分のために仕事をしているのにも関わらず、それが「家族のために」と言うわけですから、家族としては何か恩着せがましいと思うのも頷けます。
本来「家族のため」に仕事をするのあれば、先述したとおり「主役は家族」なので、家事や育児または家族との時間を中心に、働き方を選択する必要があるのです。
「家族のため」に働き方を選択した結果
ここで著者自身の話になりますが、著者自身がサラリーマン時代に仕事をしていたときは「家族のために」というよりは「自分のために」に仕事をしていました。
ただ、仕事が多忙な時は子供の寝顔を見るたびに「明日もまた頑張るか!」と自然に思え、それが心の糧となったのは言うまでもありませんが、妻から仕事に復帰したいと相談された時に、あくまでもそれが自分の中だけの世界で終わっていることに気づき、本当の意味で「家族のため」の働き方を選択するようになりました。
特に1人目の子供(娘)が生まれた時と、2人目(息子)が生まれた時の働き方が180度異なるので、ここで皆さんに少しだけ紹介します。
【娘が生まれた時(転勤族時代)】
・平日は朝早くから夜遅くまで仕事、暇あれば上司と飲み
・土日は会社仲間とゴルフで楽しむ
・嫁に仕事を辞めてもらう
・ゴミをまとめるのは嫁、捨てるのは夫
・子供は幼稚園で行事も嫁任せ
・男は稼いでナンボ(30歳で年収1,000万円超え)
・単身赴任時は外食ばかりの浪費家
・家族サービスという考え
・子供に「パパだよ」と言っても「ママ」と答える【息子が生まれた時(転勤族を抜けた後)】
・平日は定時上がりで息子を保育園へ迎えに行く毎日
・ゴルフクラブをなぜ買ったのか疑問に思う
・嫁が保育士として復帰
・ゴミ捨ては「捨てる」だけではなく「まとめる」ところから
・子供の保育園行事に一人で行けます
・仕事にかまけてはダメ(年収2~3割減は少し寂しい)
・手料理のレパートリーが増える
・家族とは生活共同体という考え
・子供が自然と「パパ」と言うようになる
色々と賛否両論あるかと思いますが、上記のとおり、「時間」と「意識」が仕事中心から、家族中心になっていたと思えます。
時間に対する意識
著者自身が働き方を変えたことで、一番苦労したのは「時間」です。
今まで全く時間を気にしなかったわけではないですが、少なくとも残業が当たり前だったので、それを前提に自然と仕事の工程を組み立てていたのですが、子供の保育園の送迎があるとそうは行きません。
私の場合、当時の就業時間が17:30までだったのですが、保育園のお迎えは19:00まで(時間厳守)だったので、17:30に仕事を終えて17:50の電車に乗り、最寄り駅に18:05に着いたらそこから18:10のバスに乗り、保育園最寄りのバス停に18:30頃に着くという毎日でした。
この点、少しでも電車とバスに乗り遅れたら、時間までに保育園へお迎えに行けないという問題が発生するため、仕事も確実に17:30までに終わらせるという覚悟が必要でした。
しかも男性の育児について、理解が得られている時代とは言いにくく、仕事量もそれなりに与えられていたため、何とか定時上がりとすべく、仕事も「会社にいないとできない仕事」と「会社にいなくとてもできる仕事」に振り分け、結果として「会社は行動するため場所」「会社以外は考えるための時間」という風に切り分けています。
ビジネスでも時間の使い方は非常に大切というのは良く言われていますが、一方で会社の経営者やマネージャーが業務時間外に会議や打ち合わせを行うのを当たり前としているのなら注意が必要であり、それは時間が有限であることを認識していない何よりの証拠です。
逆に時間の使い方が上手いのは、実際に育児をしながら時短勤務で働いている方ではないかと思っており、「時間は有限」と意識できている方と、意識できていない方とでは行動の密度が違い、結果として仕事の生産性が異なります。
簡単に言えば、「会社のパソコンの前で、悩んでいる時間はありませんか?」「会社で調べものしている時間はありませんか?」「会社で結論の出ない相談をしていませんか?」等、育児と仕事を両立している人はこういった無駄な時間を見つけ出し、限られた時間の中で仕事を効率良く行うスキルに長けているということです。
まとめ
今までは「家族のために仕事をしている」とあまり良いイメージでなく、それはあくまでも「主語が自分」であったことが原因です。
これからの時代は「家族のため」という本来の意味を見出し、「主語は家族」で「家族のために自分の働き方をどう選択するのか?」を考える必要があるのではないでしょうか?
家族のために働くことは義務ではなく、自分の権利として考えると、働き方もより柔軟になるのではないでしょうか?
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