最近「出世したくない」という若手社員が増えていることで、会社の上司いわゆる管理職の方々が口を揃えて言うのは「最近の若者は仕事に貪欲でない」「自分たちの若い時は時間を気にせず働いていた」など、自分たちが若い時の時代と比較してでの発言が多いように思いますし、皆さんの会社でも実際に耳にした方も多いのではないでしょうか?
実際に著者が会社員として働いていた20代の頃は、THE昭和の働き方が当たり前だったため、パワハラや長期労働時間は日常茶飯事だったと記憶していますが、今40歳を迎えて感じるのは「あの昭和の働き方はどこへ行ったのか?」と思うぐらい働き方が変化したということです。
また社会保険労務士として様々な企業の方とお会いする機会もあり、HR戦略としての若手社員の意識調査などもお手伝いすることもありますが、私自身の会社員時代の経験を踏まえて誤解を恐れずに言えば、「若手社員が出世意欲がないの必然だ」ということです。
また強いて言えば、「出生意欲がない」のではなく、「そもそも出世に興味がない」ということです。
それはなぜなのか?
順番に説明していきます。
最初に言葉の定義づけをきちんと明確にしておくと、「出世意欲がない」=「仕事を頑張らない」というロジックは成立しないということです。
例えば学校の運動会での徒競走で言えば、6人中1人だけが1位を獲得できることになります。ランナーの中には「絶対1位を取ってやる」と果敢にトライする人もいれば、「順位に関わらず自分のベストを尽くしてみよう」という自分なりの目標をもって挑む人もいるかもしれませんし、一方で「足は遅いからとりあえずゴールに向かって走ってみよう」という人、「そもそも参加していることに意義がある」という人もいるかもしれません。
この場合、「走ること=仕事すること」「順位=出世」という風に考えたとき、順位にこだわらず走った人は=頑張らない人になるのでしょうか?もちろんなりません。
つまり、「仕事をしている=走っている」時点で、各々が頑張っているということになり、「順位=出世」はあくまでも自分個人の能力や意欲レベルによって自分個人で設定する目標であり、そもそも他人の目標設定とは一致しないことがほとんどです。
このことからも「出世意欲がない=仕事を頑張らない」というロジックは成立しないことは理解できると思います。
ではなぜ、「出生意欲がない=仕事を頑張らない」という妄想が日本社会に蔓延ってしまったのか、次に日本社会の過去の働き方について少し触れていきます。
日本における過去の雇用文化
日本社会の過去の働き方について知る簡単な方法は、今までの雇用文化を知ることが近道です。著者としては雇用文化というのは特に法的拘束力もないものの、その時代における最適解で生まれたものという位置づけあり、今の時代(の情報量)からすれば過去の雇用文化は時代錯誤なものが多い一方、過去の文化そのものを否定することも暴論であると考えており、例えば弥生文化の人が縄文文化の人に対して「そんなもので土器作っても意味ないですよね?」といっても縄文文化がなければ弥生文化もなかったわけであり、過去の雇用文化を知ることで未来の雇用文化を見い出させるのではないかというう視点で、代表的な雇用文化を紹介していきます。
①男性中心の雇用文化
これは皆さんご存じのとおり、昔は一家の支柱は「男性」、内助の功は「女性」という風に、「男は外にって行って働いて稼いで来い」「女性は家庭を守りなさい」ということで、性別によってその役割が画一的に与えられていた時代であり、そのため会社で雇用されるのは男性が圧倒的に多数であったことから、自ずと男性の仕事上での社会的ステータスは「いかに稼ぐか?」すなわち「いかに出世するか?」ということになります。
つまり性別による画一的役割が前提としてあったがゆえに=女性が家庭を守ってくれるが前提としてあったがゆえに、会社員として働く男性としては外で働くための土台(前提条件)がほぼ共通したことから、その後の社会的ステータス=出世に伴う増収というのも、共通認識として自然と目標とされていたことが背景にあります。
②終身雇用・年功序列・新卒一括採用という雇用文化
日本企業の雇用としての特徴として「終身雇用・年功序列・新卒一括採用」は今でも根強く残っている雇用文化です。
まず終身雇用というのは特に労働契約や雇用契約に基づいて特に定められているものではもなく、特に雇用契約の期間の定めがないと謳っているわけであり、終身まで雇用するとは何ら規定されているわけではありません。
次に新卒一括採用というのは、企業に法的に新卒を雇用しろという強制的なものでもなく、あくまでも大学を卒業して社会人としての一歩を踏み出す大学生と優秀な人材を確保したい企業とニーズが時代のマッチしてシステム化された雇用文化と言えます。高度経済成長期においては企業が発展していく中、人材の確保が必要な企業においては、まさに画一的に人材を確保できる機会として発展を遂げていくことになります。
最後に年功序列は文字どおり年齢により昇給していく雇用文化になります。これは戦後から高度経済成長期にかけて日本の人口が急増したことも背景にありますが、今の時代と違って、製造業などの第二次産業が主体であった日本については、当時ITなどもなく、経験という人間的スキルが中心であったことからその専門的知識は年齢とともに高度化していくことが普遍的だったため、年齢上がる⇒自ずとスキルが上がる⇒結果として昇給するということがシステム化されたものだと考えられます。(企業としても優秀な人材の確保につながる)
雇用文化の変化
さて過去の雇用文化について簡単に紹介しましたが、今の時代とアンマッチングなのでは皆さんお気づきではないでしょうか?
①女性活躍の推進
ご承知のとおり、性別による画一的な役割区分はすでに古い考え方との認識が広がっており、対外的には昔のような「男は外にって行って働いて稼いで来い」「女性は家庭を守りなさい」ということ考え方はアップデートされ、夫婦間で話合いそれぞれの働き方を選択した方が良いというのが漂白された解答になるのではないでしょうか。
一方で理屈で考えるよりも、昔ながらの価値観が勝ることもあり、この点はまだまだ日本社会での発展途上も言えますが、今では女性活躍推進法による一企業における女性役員の割合を増やす方針や、男性への育休取得など試行錯誤の段階とも言えます。
②不安定な雇用制度
高度度経済成長期においては企業が発展していく中で労働人口も増えたことから、終身雇用や年功序列のような雇用制度がマッチしましたが、ご承知のとおり労働人口減少の中での超少子高齢化やIT革新に伴い、企業は新卒一括採用における若手労働者の人材不足に悩まされながら、かつ年功序列に伴う高齢労働者の賃金高騰に悩まされ、また高齢労働者がかつて培った経験スキルは、IT革新による技術の向上かに伴い賃金程の価値がない状況とも言えます。
つまり企業として言えば、過去の高度成長経済期の状況とは180度違う状況であり、
終身雇用・年功序列・新卒一括採用などの雇用文化を維持することは合理的ではなく、新たな雇用文化を生みだすべくタイミングとも言えます。
今の40代前半~20代の会社員のホンネ
①あなたたちの時代とは違う
会社のために時間を割いて仕事を頑張っていれば、自ずと昇進・昇格により給与が上がるのは過去の話。それは人口も増えて日本市場も拡大し、企業も発展していくことが前提だった時代。今は日本の人口が減り、労働人口も減り、日本市場が縮小していくのは必然の中で、過去の年功序列によって多数派の高齢労働者の賃金が高い一方で、少数派の若い自分たちが高齢労働者と同じように頑張っても、賃金がそう簡単に上がらないことぐらいわかっている。
働くための前提条件(時代)が違うのにそれでも昔の人達は同じ働き方を求めてくるのか?
②時間ばかりで働き方を評価するな
「24時間働けますか?」という言葉がはやったのはもう過去の話。時間をかけて成果が生まれるのは簡単に言うと仕事の「量」だけの問題ではないか?
また昔はコンプライアンスもパワハラもお世辞でも守られている時代ではないので、仕事の質1×量100=業務量100としても、今は仕事の質は2倍、3倍、10倍でも膨れ上がっている。つまり今は質10×量100=業務量1000の状況なのだ。残念ながら昔の人はそこが理解できていない。24時間働くことが仮にできたとしても、昔は業務量100%÷24時間=1時間あたり業務量は約4で、今は業務量1000%÷24時間=一時間あたり業務量は約40という昔の約10倍の濃密で仕事をこなしていることになる。
量や労働時間で評価するのが如何に非合理的なのかが良くわかるのではないだろうか。
③夫婦共働きこそが当たり前
昔であれば妻が夫の扶養に入ることで、妻も老後に国民年金をもらえることとなっていたが、これは年金財源を負担すべき保険料を納める現役時代=労働人口が増え続けていることが前提。つまり昔は労働人口が増加傾向の中で、妻が働いていなくとも夫が納める保険料で妻の年金財源を賄えるという構造だった。
しかし今の若手労働者が昔の人と同じような働き方(労働人口が減る一方)では、保険料を払うだけ払った結果、自分たちの老後には年金をもらうことができないという結果が目に見えているので、だからこそ夫婦共稼ぎをすること(保険料を負担すること)で将来の年金財源を確保しながら、夫婦ともに老後の年金をもらうためのセーフティーネットを構築しているのだ。
夫婦共働きが基本であり、女性も仕事頑張るし、男性も育児を頑張る。真に働き方改革が必要なのは50代60代の人達では?
出世にそもそも興味がない
これらの背景を踏まえ冒頭の徒競走の話に例えると、昔の人の大多数は日中明るい中で少なくとも地面がしっかりした場所で走っており、その中で順位争いをしていたことになりますが、今の人は先が見えない薄暗い中で泥濘を走りながら、どうやったら自分なりに完走できるかが大事なのです。
しかも昔は自分一人での徒競走でしたが、今では妻(または夫)と二人三脚での徒競走(働き方)なので、夫婦間での呼吸を合わせ如何に走り切るかが大事となってきます。
つまり、今の若者は昔ほど簡単に年齢によって給与が上がらない中、夫婦ともに互いの働き方を尊重し合い働くということを前提としており、過去の年配者が経験したことのない新しい働き方を模索しているのです。
そのため新しい働き方を見つけることこそが仕事上のステータスであり、出世はもはや仕事における重要課題ではないのです。もちろん出世したい人はそれを目標に頑張るのも良しですが、全員が全員出世することを目標とすることに意味はなく、もはや「出世」というのが働く人の共通価値ではなくなったのです。
価値がないもに興味は湧かない。これは人としてごく当たり前とも言えるのではないでしょうか?
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